咳をしても一人

はたしてボッチの新規がどこまでゆけるのか

もう一度、はじめよう新規から。

最初のエントリなので自己紹介っぽいことを書こうとしたらどうにもこうにも暗くて長い話になってしまいました。

しかも他人からしてみればほんの些細な出来事。こうして振り返りながら書いてて自分でもそう思います。でも当時の自分は夜も眠れないくらい、あれこれ長いこと考えたものでした。

そんな思い出話です。

世の中にはもっと悲しみ溢れるこの手のエピソードが山ほどあるんだろうし、こんな些細なことにひとつだけの正解っていうのもないんだろうなということは頭ではよくわかっています。

そこであえて答は出さずにそのまま乗り越え、ただただ時が過ぎゆく中でいろんなものからフェードアウトしていった結果、気づけばボッチに戻っておりました。

ならば一旦切り替えて、ボッチらしく再スタートしたいと考えるようになりました。でもそれじゃあちょっぴり寂しいのでブログを始めてみた次第です。

新規ジャニヲタとしての教育半ばで道から外れてしまった私に最近気になるグループ、Hey! Say! JUMPが現れました。

昭和生まれだからHey! Say! とか文字ならいいけど、声に出すのは何かまだちょっと恥ずかしいかも……とか言ってる場合じゃないくらい、今の彼らは輝いていますね!

心機一転、もう一度新規ジャニヲタとして生きてみようと決心したので、気持ちの整理も兼ねて自分語りをしてみようと思います。

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長らく私にとって、趣味というのは孤独に楽しむのが当たり前のものでした。みんなに乗り遅れる、周囲に好きな人がいないなどの経験が多かったせいだと思われます。

その趣味人生の中でほんの数年間だけ、とあるジャニーズのグループが好きだという人達にジャニーズについて教えてもらいながら大変に楽しい時間を過ごした経験があります。

大人数で語り尽くせないほど感想を言い合ったり、誰かと一緒にコンサートに行ったりした日々はとてもとても楽しく思い出深く、それはもう忘れがたい良い経験でした。

しかし当時ひとつだけ、心に引っ掛かり続けていたことがありました。それは近しい距離にあった先輩の方々が

『当落の結果で落選したことを報告し合ったのち、何らかの手段で行けるようになったことはめでたい、そのことを徹底して内緒にするのもいい、だがそれでいて事後に感想等は発信する、そのことに関する断りやフォローは特にない』

を繰り返していたこと。
これ、おそらくこの世界でなくともすっごく「あるある」なんだと思います。

私自身も、第三者からこれだけを聞いたら「なんだそんなこと、気にしなくていいんじゃないか」などと言っていたかもしれない。

なんですが、実際に自分が経験してみるとこれが予想以上のダメージでした。

最初は「知らぬ間に何かをやらかして干されてるのか」と心配したりもしましたが、一定以上の距離または新規の面子は一律でこの対応だったことを人づてに知りました。そういう線引きをきっちり設けて徹底することはある意味いいことで、大事なことなんだと思います。

だけど私にとっては、もはやすでに数年単位で付き合い、趣味のこと以外の話もすればかなりの頻度でリアルで会うなど、お友達的な距離感だったし実際友達と呼んでくれていた人たちから、トラブルがあったわけでもないのに「仲間の当選やチャンスを妬む・羨む人間だという前提で処理」されていたことに、とてもとても傷つきました。

事前に「行けるようになった」と一言いえる場面は何度でもあった。もしくは「その後なんらかの手段で行けるようになったとしても過去の経験上からその報告はしない」のようなポリシーの共有が可能な場面もいくらだってあった。


でもそのすべての機会で「コイツには言わんとこ」と思われていたんだなと分かった瞬間の、心臓が跳ねたあと一気に血の気が引くあの感覚。

シレっとネット上に発信された感想なりを見ても何も思わない、気づかないバカだと思われていた事実。

そして何より、あれほどの距離感で経験を共にしたはずの彼女らから最後の最後まで「言えば面倒になる(懸念がある)」としか思われていなかった、始まる前から終わってた、信頼を得られなかったんだという悲しい現実。

それから、娘時代にならばよく見たあの隠す気のないナイショごとや仲間はずれを成人になってから再び目の当たりにしてしまったショックも大きかった。

もちろん、何も言わずにわかってもらおうなんてのはムシが良すぎるわけなので、あるとき勇気を出して「自分にとっては内緒にされていることのほうが傷つく、羨んだり妬んだりする人がいることも理解するが、自分は逆なので本当に悲しいからぜひ普通に言ってほしい」と申告したことがありました。

すると「そんなわけがない、そういって妬まない、恨まない人間なんていないんだ」「今はそういっているが、いずれシャレにならないレベルで殺し合いになるんだ」「まだ知らないだけだ」と取り合ってもらえなかった。

新規の私には想像もつかない、そのような経験に裏打ちされた線引きなのだと一度は納得しようとしたものの、こうしたことが幾度となく繰り返される中で精神的に鍛えられていくなんてこともなく、単にその都度ひどく傷つくばかりだった。

名義や枠が必要とされるとき以外でも仲間として扱われていたと感じる場面は多々あり、客観的に見たらいわば養分だったのかもしれないけれど、それだけだったとは思えない。そうは思いたくない気持ちで今もいっぱいです。

だからきっとあれが、彼女たちにとってのベストな対応または最大公約数であって、良かれと思ってのことだろうというのは頭ではわかっているのです。

でもそれで傷つかないのは彼女たちだけだった。

間をとるとか落とし所を見つけるのが難しい案件だから自分にとっての最良を選択するしかないということならば、私は去るという選択をしようと決めたあの日。

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そんなこんなで月日は経ち、現在に至ります。

はじりまりかけた薔薇色のジャニヲタライフが深い悲しみによって一度は終わり、正直もう二度とジャニーズ関連に触れることはないと思っていました。

しかし今、まさにいい風が吹いているHey! Say! JUMPが歌い踊る姿を見て、なぜか無性に彼らの現在過去未来を追いかけてみたくなって、ボッチで一体どこまでいけるのかを試してみたくなりました。

それほどに輝いているアイドルには不思議な力があるのだと再認識できたことがただただ嬉しい。

そうした輝きがときに、単なる友達として出会ったならば一生ものだったかもしれない彼女たちの心に、そして自分の心に黒い何かを生むことがあるのだとしても、それでもその輝きその瞬間すべてが尊いと思えるようになった。

いつか嬉しいことも悲しいことも共有できる仲間に出会える日が来たらいいなと思う。

でもインターネットがあれば一人でも何とかやっていけそうな気もしている。

とりあえずボッチ街道を駆け抜けながら前向きに楽しむべく、今年は単身、横浜のコンサートに行く予定です。その前には24時間テレビなども控えていますし、再び楽しみなことだらけの日々がやってまいりました。

ほんとうに嬉しい。

長年の孤独をこじらせて不適切な発言をしてしまうこともあるかもしれないふつつか者ですが、次回以降はもうちょっと明るい話題でいきたいと思いますので、どうか今後ともひとつよろしくお願いいたします。